「やればできる」の残酷

 私は「やればできる」という言葉が嫌いです。

 既に何かを成し遂げた人に対して言う賞賛や労いの意味でなら許せるのですが、これから何かに挑戦しようとする人への励ましや、行動が今ひとつ不足しているように感じられたときに叱責する意図で使う言葉としては、適切ではないと思っています。

 「やればできる」はずのその人は、本当にやっていないのでしょうか。やっているのに方法に問題があって成果が出ていなかったり、あるいは何かの壁に当たって苦しんでいるのかもしれません。
 「やればできる」はずのその人は、本当にそれをやれるのでしょうか。そもそも行動を起こすことにさえ困難を感じていて、別の救いを求めることもできず「やればできる」の言葉に追いつめられてはいないでしょうか。

 成功者に対する「やればできる」は、その成功への過程も含めて評価した最高の賛辞だと思います。しかし私は安易な「やればできる」は思慮に欠けていて、とても残酷で危険な言葉だとも思っています。