となりのトトロの嘘

子どもの時にだけ見えるもの、子どもの時にだけ起こる不思議なことが私は世の中にあると思っています。しかしそれは大人になるにつれて記憶から消えてしまったり、あるいはお勉強で身についた知識で覆い隠されてしまうのです。

子どもは見たこと体験したことを大人に懸命に説明しますが、大人は子どものいうことを信じません。子どものことを信じていないというよりも、そんなものは見えるわけはないし、そんなことは起こるはずがないと、見えたものや起きたことを否定します。だって、オトナの常識で考えてそんな不思議なことが現実に起きるわけはないのですから。大人にはもう見えないのですから。

それでも子どもにとっては見えたこと起きたことは紛れもない真実です。そして、親にさえ信じてもらえない自分。絶対的な親の存在を前に嘘つきのレッテルを自分自身に貼った子どもも、やがて大人になり親になります。そして気がつきます。やはり大人は子どもを信じないものだということを。

大人には大人の真実があり、子どもにはそう見えたこと、子どもにはそう感じたこと、嘘とは違う子どもの中で生まれた物語を受け入れるゆとりはありません。ただ我が子の空想癖やさらには虚言癖を案じ、社会不適合への恐れが先だって、我が子の嘘をいさめ、我が子の嘘をいなすのです。

こうして育った子もまた、どこかで親を信頼しない人間になるのです。そして、親を信じず親に信じられなかった人が、我が子を信じられる人間になるでしょうか。どんぐりの包みを、とうもろこしのメッセージを、真実として受け止められる親を私は知りません。くりかえし、くりかえし。

子の人生を左右する環境要素は、生まれた国が6割、育った家庭が2割、残り2割が他の出会いだとどこかで読んだことがあります。それがよい人生になるか悪い人生になるかは別として、我が子が自分と異なる人生を歩むには最後の2割が重要です。だから我が子には親を顧みることなく、外の世界に目を向けて生きてほしいと思います。